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聖フィリポ・ネリ司祭証聖者   St. Philippus Neri C.  記念日 5月 26日


 「汝等常に主において喜べ、我は重ねて言う、喜べ!」(フィリピ書 4・4)
 フィリポ・ネリは、この使徒聖パウロの言葉を一生の標語としたような聖人であった。フィリポ・ブオノ(善良なフィリポ)と言えば当時のローマ市民で誰一人知らぬ者もなかった。
 彼は1515年イタリアのフィレンツェに生まれた。その少年時代の事は詳しく知られていないが、定めしその頃から清浄潔白、無欲恬淡、快活明朗な性質で、その上後年聖者となるにふさわしい、天主の御指導があった事であろう。彼の伯父に当たる人は相当な財産を持つ商人であったが、不幸にして跡を継ぐべき子供がなかったので、18歳になったフィリポを養子とし、ゆくゆくは自分の商売の後をつがせ、相当な身代をゆずるつもりでいた。ところがフィリポはそういう利殖の業に少しの興味も持つことが出来なかった。かえって彼は清貧の生活に憧れ、一切をなげうってローマに赴き、16年の長い年月を親切な友人の家の屋根の下に起き伏しし、その二人の子の教育を唯一の生業として、質素な生活を続け、暇あれば市中の霊場なる教会聖堂カタコンブ等に巡礼して祈りにふけるのを何よりの楽しみとしたのである。殊に聖セバスチアノのカタコンブや無数の殉教者の聖血に彩られた闘技場には、12年間ほとんど毎日のように、時しては夜更けてからも参詣して、自分もそれらの殉教者の如く信仰堅固になる恵みを、涙の中に天主に祈り求めたという。
 されば天主も彼の誠心のよみされたのであろうか、1544年の聖霊降臨大祝日の前日であった、フィリポが例によってカタコンブに参り祈りしていると、特別な恩恵が与えられて心中に無量の聖愛がみなぎり渡るを覚え、胸も張り裂けんばかりに感ずると同時に、あばら骨が2本折れて、胸を傷つけその傷は生涯癒えずに残ったと伝えられている。

 当時の教会には不幸にして冷淡の憂うべき風潮が瀰漫していた。フィリポは力の及ぶ限りかような信者に熱心を吹き込もうと努めると共に、病める者、貧しき者、遠来の巡礼などの救済等、肉身の慈善業をも心がけ、またそれにも増して霊的の慈善業を重んじ、罪人の心に平安をもたらすように配慮した。
 フィリポの愛に満ちた優しい人柄と快活な性質とは、逢うほどの人に好感を与えずにはおかなかった。わけても町の子供たちは心底彼になつき、慈父の如く後を慕い、共に遊んだり、公教要理を勉強したり、また聖堂に参詣したりするのをこの上もない喜びとしていた。ある人がフィリポに「こんなに子供たちが騒いでは、さぞおやかましいでしょうに・・・」というと、彼は答えて「いや罪さえ犯してくれなければ、私の背中の上で薪割りをされてもかまいませんよ」と言ったという。以ていかに彼が子供たちを愛していたか察することが出来よう。
 彼が慕うのは子供達ばかりでなかった。時々は町の人々も彼の周囲に黒山を築いて、天上の霊感に充ちあふれた彼の説教に耳を傾け、或いは俗腸を洗い、或いは改過選善の心を起こした。

 かようにフィリポは世道人心に大いなる感化を与えたが、まだ別に聖職者という訳ではなかった。彼の聴罪司祭はかかる高徳篤信の人を平信者の中におく事を惜しみ、盛んに叙階の秘蹟を受けるように勧めたから、フィリポも遂に意を決して、1551年、36歳で叙階されて司祭職に就くに至った。しかしその愛深い心、謙遜な態度、快活な性質、質素な生活には依然として変わりなく、今度はこれに善牧者イエズスに倣って迷える羊を正道に連れ戻す仕事が加わり、彼は粉骨砕身朝早くから晩遅くまで告解を聴き、罪人の改心を喜んで己の労は少しも厭うところがなかった。
 フィリポはまた各方面の人々を数人ずつ自分の狭い部屋に集めて教えを説き、しばしば黙想会を行った。そしてそれを希望する者が次第に増えて、自室では到底間に合わなくなると、更に手広い所を求めて、なおもこの使徒的活動を続けた。その集会の場所はオラトリオ(祈りの家)と名付けられ、後に聖人の徳を慕う者が相集まって結成したオラトリアノ修道会の発祥地となった。教皇の命令によってその人々の指導者と立てられたのがフィリポであった事はいうまでもない。
 彼はまた祝日などにはよく信者達を引き連れてローマの古い聖堂に参詣した。殊に四旬節の前二日にわたって行われる世俗的な行事謝肉祭には、進んでこういう巡礼の行列を催し、以て世人の罪の償いとした。
 聖人はあらゆる人々から尊敬されていた。たとえば教皇レオ11世は彼と共に語るを喜びしばしば四、五時間をもその部屋に留まり、ここは予の楽園であると言われ、またクレメンス13世やグレゴリオ14世は、かつて聖人から教えを受けた事を無上の名誉とされ、カロロ・ボロメオ、イグナチオ両聖人はフィリポと親しく交わり、また大音楽家パレストリーナは好んで彼に告解した。大抵ならそういう偉大な人物からそれ程尊敬を受けると、兎に角思い上がり易いものであるが、フィリポは少しもたかぶる色なく、却っていよいよへりくだる事を心がけ、その為時々珍妙な行為を敢えてする事もあった。例えばひげの片方だけをそり落として往来を歩いたり、人々の前で書物を朗読する時わざと子供の片言を真似たり、移転の折り台所道具を持ち出して滑稽なしぐさを見せたりするのである。これは皆、人からさげすまれ笑われたいという謙遜の心から出でた事であるが、その聖徳の高さを知っている人々は、却ってその為ますます尊敬の念を加えるばかりで、教えを請う者、代祷を願う者は引きも切らず彼を訪ねて来た。彼のミサ聖祭を執行する時、その顔は天使の如く天上の光に輝き、その敬虔極まる態度と共に、見る人をしてそぞろに天主の目近にまします事を感ぜしめたという。

 聖人にもやがてこの世を去る日が近づいて来た。病の為再び起つ事が出来なくなったフィリポは、床の上に横たわりつつ壁にかけられた主の十字架像を指さし「御覧なさい、主はああして苦痛を忍びながら十字架にかかっておいでになるのにこの取るに足らぬ私はこんな柔らかい寝台の上に、親切な人々の介抱を受けながら休んでいるのです。何という冥加に余ったことでしょう」という言葉を最後に、その至純な霊魂を天父の御手に返したのであった。


教訓

 我等も聖フィリポ・ネリの如く、常に主において喜びつつ慈善を心がけたい。何となれば「神は喜び与える人をよみし給う」(コリント後書 9・7)